イチローの小学生の頃の作文の真似。

私の夢は、研究室を主宰し、社会に大きなインパクトを与える研究をすることです。

研究室のメンバーに、やりがいのある仕事を与えられるPIになりたいです。

そのためには、今やっている研究をもっと発展させていけばいいと思います。

博士課程の時の研究分野が大盛り上がりの今、その研究分野を離れ、萎みゆく今の研究分野に移ったため、「逆張り」をしているだけなどと批判されることまありますが、私に言わせれば、元の研究分野に残り続けることこそ「逆張り」です。博士課程の研究分野も、私がそも研究分野を始めた時は、成功する可能性が低いと言われていました。少し軌道に乗ったからといって、たくさんの人がその分野に群がっています。科学とはそういうものでしょうか?私は、人と違う研究がしたいです。他の人がやっていない研究にこそ、やる意味があると思うし、そこにアカデミアで生き残れる可能性を見出します。

研究の方向性は間違っていないと思います。この計画を成功させるためには、たくさんの人に協力してもらわなければなりません。協力してもらえるように、なぜこのような計画なのか、何を成し遂げたいのか丁寧に説明していこうと思います。

今は、なかなか結果が出なくて苦しい時もありますが、諦めたくありません。

結果が出ていない間は、周りの評価も悪いし、辛いことが多いです。しかし、いざ結果を出したらみんな手のひらを返してくることを忘れてはなりません。そういうものです。

私のもう一つの夢は、女性が普通に活躍出来る社会を実現させることです。

女性に限定させてしまいましたが、女性が普通に活躍出来る社会とは、社会で活躍しない男性も認められる社会です。

日本に帰ってきて、男性が主人として活躍し、女性が補佐にまわることが当たり前とされていることに目眩を覚えました。

そのために、どうすればいいのか、正直わかりません。

一個人として出来ることは、自分が自分の人生の主人公でいることを絶対諦めないこと、世間の常識に惑わされて自分が本当の意味で幸せにいることを諦めないことの2つです。

他者に対して何か影響を及ぼせるとしたら、若い子たちがただぼんやりと社会から与えられた(女性または男性の)役割のみに甘んじてしまうことを避けられるような活動をしたい。

女性が社会で活躍することも、男性が家庭を支えることも認めらる、一人一人個人の特性にあった活躍の場所が与えられる、そんな社会が理想です。

なぜ自殺してはいけないか

なぜ自殺してはいけないか

に対する答えを聞くと、

自殺したい人はもっと自殺したい気分になるのではないか。

 

(1)自殺は他人に迷惑がかかるから 周りの人が悲しむから

(2)自殺は神への侮辱。

(3)自殺は軽々しく死ぬことはただの甘え、逃げ。

 

その答えに自殺したい人を思いやる言葉は一つもない。

 

こんなに辛いのに、周りに迷惑をかけないことを優先しなければいけないのか。

神がいるなら、なぜ助けてくれないのか。

なぜ逃げてはいけないのか、もう疲れた。休みたい。強くなければ生きていいけない。

こんな世界には居たくない。

 

 

そんなに辛いんなら、自殺したくなっても仕方がないよ。大変だったね。

という言葉のほうが、

もう少し生きていてもいいかな、という気分になる。と思う。

 

#私は、誰になんと言われようと自殺したくない。自殺でないとしても、まだ死にたくない。

 

Kamikaze

パリでの同時多発テロに関するフランス語の報道で、自爆テロを起こした人物をkamikazeと表現している。

 

「自爆テロ」自体には、attentat-suicideというフランス語が存在する。

フランスメディアの中で「自爆テロ」自体にkamikazeを用いているのも散見されるが、

自爆テロを起こした人物に対してkamikazeと呼んでいる例が多く見られる。

日本語話者としては、これに違和感を感じる。

第二次世界大戦のkamikazeは自爆テロの一種には間違いないが、すべての自爆テロがkamikazeではないだろう。

そもそも、神の風という元の意味を知っているから日本語話者は違和感を感じるのだろう。

 

いつ頃から、このような用法が広まったのか不明だが、おそらく米国の同時多発テロがきっかけであろう。

あの時の自爆テロは、飛行機を墜落させる形で起こったので、第二次世界大戦の旧日本軍の(神風)特攻隊を想像するのも、理解出来る。そこから転じて、kamikazeが自爆テロを行う人物に対して用いられるようになったのだろうと推測する。

 

日本人としては、このような用法に若干の不快感を覚えるが、言葉とはこういうものなので仕方がない。日本語の(特攻隊とは関係ない元々の)神風とローマ字となったkamikazeは全く別の言葉だと認識するべきであろう。

(私が、神風という言葉から特攻隊以外で最初に想像するのは、元寇である。)

旧日本軍の特攻隊がフランス人にとって、代表的な自爆テロの例なのであろう。戦時中の戦闘とテロを同一視して良いかという問題もまたあるが、自爆テロというよりは自爆攻撃という意味で使っていると考えていいかもしれない。

 

これらの事情を考慮しないにしても、今、混乱下にあるフランスに対してkamikazeという言葉の使用を避けるように求めることはやめるべきである。

好きなもの

好きなブランド

日本人がプロデュースした海外発っぽいブランドが好き。

・MARY QUANT

http://www.maryquant.co.jp

日本以外はロンドンに一店だけ。若干ロンドンの方が安い。

・ARNOLD PALMER

http://www.renown.co.jp/ap_world/

ブランドとしてのアーノルドパーマー(プロゴルファーの名前)は日本にしかない。

 

好きな服

パイル地の服

もうすぐ半年

同僚のポスドクが自殺してから、半年経った。

私の精神状態はだいぶ落ち着いた。研究も前の60%くらいは出来るようになった。

一緒にやった研究結果を論文にまとめるのが、今の主な仕事である。

以前は、研究室に行くだけで吐き気がしたり、研究データを見るだけで罪悪感に苛まれた。

ログノートに書いてあるコメント、シミュレーションプログラムのスクリプト、あらゆる場所に彼の存在がある。

今も、それを見て、寂しくなったり、悲しくなったり、若干の罪悪感に苛まれたりはするけれど、事実と向き合えるようになった。

一緒にやった研究結果をどうにかして世の中に発表したいという気持ちと、彼はこの世に存在しないということ向き合わなければいけない辛さと、この半年戦ってきた。

亡くなった直後は、罪悪感でいっぱいだったが、今は「会いたい」という気持ちが大きい。会って話がしたい。

面白い論文を見つけた時、「こんな論文あったよー。どう思う?」と聞きに行きたい。あぁ、なんて言うんだろう。「学会でこんなコメントもらったよ。」「この研究アイディアどう思う?」「ここの数式の導出がわからないんだけど・・・。」フィードバックが欲しい。私が一人で話しかけてて、全然何も返してくれないじゃん。

彼が自殺した直後は研究室も異様な雰囲気だった。私はそれを彼自身に「研究室がこんなことになっちゃったけど、どう思う?みんな研究室のメンバーの一人が自殺したことにショックを受けているよ。あなたは、どう思う?」と聞きたい気分になった。決して、本人を責めるとかそういう意味じゃなく、いつも何か困ったことがあると彼に聞きに行っていたから、ついそうしたくなった。そんな衝動に駆られるたびに、彼がもうこの世にはいないという事実と、彼自身がその状況を引き起こしたという事実と、私はほぼ24時間傍らにいながら何も出来なったという不甲斐なさと情けなさ、その3つが入りじ混じった感情が体全体を埋め尽くした。