なぜ自殺してはいけないか

なぜ自殺してはいけないか

に対する答えを聞くと、

自殺したい人はもっと自殺したい気分になるのではないか。

 

(1)自殺は他人に迷惑がかかるから 周りの人が悲しむから

(2)自殺は神への侮辱。

(3)自殺は軽々しく死ぬことはただの甘え、逃げ。

 

その答えに自殺したい人を思いやる言葉は一つもない。

 

こんなに辛いのに、周りに迷惑をかけないことを優先しなければいけないのか。

神がいるなら、なぜ助けてくれないのか。

なぜ逃げてはいけないのか、もう疲れた。休みたい。強くなければ生きていいけない。

こんな世界には居たくない。

 

 

そんなに辛いんなら、自殺したくなっても仕方がないよ。大変だったね。

という言葉のほうが、

もう少し生きていてもいいかな、という気分になる。と思う。

 

#私は、誰になんと言われようと自殺したくない。自殺でないとしても、まだ死にたくない。

 

もうすぐ半年

同僚のポスドクが自殺してから、半年経った。

私の精神状態はだいぶ落ち着いた。研究も前の60%くらいは出来るようになった。

一緒にやった研究結果を論文にまとめるのが、今の主な仕事である。

以前は、研究室に行くだけで吐き気がしたり、研究データを見るだけで罪悪感に苛まれた。

ログノートに書いてあるコメント、シミュレーションプログラムのスクリプト、あらゆる場所に彼の存在がある。

今も、それを見て、寂しくなったり、悲しくなったり、若干の罪悪感に苛まれたりはするけれど、事実と向き合えるようになった。

一緒にやった研究結果をどうにかして世の中に発表したいという気持ちと、彼はこの世に存在しないということ向き合わなければいけない辛さと、この半年戦ってきた。

亡くなった直後は、罪悪感でいっぱいだったが、今は「会いたい」という気持ちが大きい。会って話がしたい。

面白い論文を見つけた時、「こんな論文あったよー。どう思う?」と聞きに行きたい。あぁ、なんて言うんだろう。「学会でこんなコメントもらったよ。」「この研究アイディアどう思う?」「ここの数式の導出がわからないんだけど・・・。」フィードバックが欲しい。私が一人で話しかけてて、全然何も返してくれないじゃん。

彼が自殺した直後は研究室も異様な雰囲気だった。私はそれを彼自身に「研究室がこんなことになっちゃったけど、どう思う?みんな研究室のメンバーの一人が自殺したことにショックを受けているよ。あなたは、どう思う?」と聞きたい気分になった。決して、本人を責めるとかそういう意味じゃなく、いつも何か困ったことがあると彼に聞きに行っていたから、ついそうしたくなった。そんな衝動に駆られるたびに、彼がもうこの世にはいないという事実と、彼自身がその状況を引き起こしたという事実と、私はほぼ24時間傍らにいながら何も出来なったという不甲斐なさと情けなさ、その3つが入りじ混じった感情が体全体を埋め尽くした。

身近な人の自殺から立ち直るための本:夜と霧

過去に自殺遺族の体験談の本を2冊紹介したが、一番役立ったのは実はこの本である。

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録    V.E.フランクル

Man’s serach for meaning (原著)

夜と霧 (日本語訳)

ナチスの強制収容所の悲惨さは語るまでもないが、自殺も日常茶飯事であった。 また収容者の自殺を止めること(首吊りの縄を切ったりすること)は禁止されていた。

強制収容所での自殺は、「なぜ?」という問いはあまりないという点が、戦争状態でない場所での自殺と違うかもしれない。

二部構成で、一部は強制収容所での生活を悲惨さを強調するようにではなく、平然と事実を述べている。二部では、人間の精神状態に焦点を当てている。 辛い状況下で生きるTIPSがたくさん書かれている。

私が一番救われたのは、下記のくだり。

It did not really matter what we expected from life, but rather what life expected from us. We needed to stop asking about the meaning of life, and instead to think of ourselves as those who were being questioned by life—daily and hourly.

私たちが<生きる意味があるか>と問うのは、はじめから誤っている、人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているのだから

何のために生きているかわからない、という私の嘆きに対して一番の答えになりました。 Victor フランクル、ありがとう、本当に。

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最近、何事も無く帰ってくる夢をよく見る。 「あぁ、そうだよね~。自殺なんかするわけないよね・・・。私が一人で心配してバカみたい・・・。」 と毎回夢の中で思う。

自殺直後も、帰ってくる夢をよく見ていたけど、その頃は、バラバラになって帰ってきたり、形が変わって帰ってきたり、「そんなことするから、こんな風になっちゃったじゃん。バカー!」と泣きながら言ってて悲しいけど帰ってきてくれて嬉しい という夢だった。

自殺がテーマの小説。

こころ

夏目漱石の不朽の名作。

先生とKと同様に、私も自殺した同僚と、大学(職場)と寝床(アパート)が一緒なので重ねずにはいられなかった。

違うのはお嬢さんという存在が人ではないことと、私はおそらく先生のようには自殺はしない。

 

夏目漱石が一高の教師だった時、受け持ちの生徒が入水自殺した。

その後の神経衰弱を和らげるために書いたのが「吾輩は猫である」。

 

忍ぶ川

6人兄妹中、2人を自殺、2人を行方不明・失踪で失った三浦哲郎の半自叙伝的な小説。

短編集で、最初の話が「忍ぶ川」

自殺とは関係ないが、最後の「驢馬」という話も良かった。

自死遺族のなぜ?に答えようとしてくれる本

Dying to be free

No time to say goodbyeは自死遺族の体験談をまとめた本であるのに対し、こちらは、学術的な解説もある。

作者はアメリカの有名な自殺したミュージシャンの親戚であり、かつ看護師である。

自殺を食い止めるために出来ることも書いてあり、止められなかった者としては、レビューに書いている人もいるように、読むのが辛い部分もある。

自殺に至るまでの、心理的状況の解説があり、オーバーラップして読むのが辛いが、「なぜ?」に一部答えてくれるという意味では楽になれる部分もある。

私にとっては、キリスト教が文化的背景にあるため自殺を悪として考える”感覚”を理解するのにも役にたった。

邦訳は探したが見つからない。使われている英語は平易である。

自死遺族の体験談をまとめた本

No time to say goodbye(Amazon.com)

No time to say goodbye(Amazon.co.jp)邦訳もあるようだが、Amazonで見つけられなかった。

レビューにもあるように、自殺後すぐに読むのはきつかった。

しかし、ある程度時間がたったあと読むのに有用だった本。

私は遺族ではない。

同僚を自殺で亡くした人の体験談も一つだけ載っていた。

同僚自殺後の身体的反応。

泣きすぎたためかもしれないが、視力が一時的に低下した。一週間後には戻った。

 

食べるのが速くなった。

食べる量が多くなった。

甘いものを多く食べるようになった。

チョコレートを大量に食べるようになった。

親しい人を自殺で亡くした人に対してしてはならないこと。

悪気はないにしても、私は心ない周りの言葉に対して苦しんだ。

 

http://www.bandbacktogether.com/how-to-cope-with-loss-suicide/

に載っている周りの人間が「してはならないこと」には、深く頷いた。

 

私の場合は、西洋圏で起きたことであるので、英語のサイトが役に立つし、そのまま受け入れられる部分がほとんどであるが、日本の場合は少し事情が違ったりするかもしれない。

日本語で親しい人を自殺で亡くした人のためのWebサイトは2つ3つしか見つからなかった。

それが、私がここに日本語訳を載せる理由の一つでもある。

 

1.Don’t try to comfort the suicide survivor by saying, “it was a terrible accident.” The suicide survivor must deal with the fact that their loss was due to a suicide.

「あれは事故だっとのよ。」などといって慰めてはならない。親しい人を自殺で亡くした人は、それが自殺による死だったことと向き合わなければならない。

 

 

–これは、私は言われなかった。遺書は無かったが、目撃者も多くいて、明らかな自殺だったからかもしれない。彼が母国で親しかった友人に「(自殺したなんて、信じられない。)事故に違いない。」と言われたが、それはその友人が自殺という現実を受け止めたくないという思いなのであって、私を慰めようとして言った言葉ではないことは明らかであった。その言葉を聞いて、私は自殺した時に一番近い場所に居た人間であったので、自殺を止められなかったことに対する罪悪感を感じたが、この文面の意図する意味とはまた異なるものであろう。この友人の「事故に違いない。」という言葉は、彼とこの友人の親密性、この友人の悲しみから出てきた言葉であり、文面の「あれは事故だったのよ。」とは全く異なるものであろう。

 

2.Don’t compare your grief about other deaths to your loved one – the grief of a suicide is very different than most other types of deaths.

自分が親しい人を亡くした経験と比べてはならない。自殺で親しい人を亡くす苦しみは他の多くの死の原因とは違うものなのだから。

 

 

–これが一番私が、周りから言われて苦しんだものである。親しい人を亡くした経験を語られても、それが自殺でない場合、こちらは余計辛くなる。自殺というのは、他の死とは違うのである。確かに、どの死も辛いものではあるが、種類が違うのだ。しかし、本当に多くの人がこの過ちを犯す。親しい人を自殺で亡くした経験を語ってくれた人もいた。その話によっては大変癒やされた。自身の辛い体験を共有してくれたことに感謝したい。

 

3.Don’t tell stories to suicide survivors about your friend or someone else you know who tried to commit suicide, which means you totally understand how they feel. Whomever you knew who attempted suicide lived, theirs did not.

あなたの友人や誰か知っている人が自殺を試みて、自殺が失敗に終わった話をしながら、気持ちが理解できるようなことを言わない。あなたの大事な人は結局のところ生き延びることが出来たのだから。

 

 

–これは実際言われた。同じく研究に従事する人間で、自殺を試みたが失敗に終わり、右足を失った同僚を過去に持つ、現在の同僚の一人から言われた。私はこの話によって、辛い思いをしなかったのは、気持ちが理解出来るという文脈で言われたからではなく、私も自殺するようなサインには全く気づかなかったという文脈で言われたからであろう。しかし、この話によって、なぜ彼の自殺は失敗に終わらなかったのだろう、失敗に終わればよかったのに、と思うようになった。

 

4.Don’t go over the signs of suicide with a suicide survivor, as the suicide has already taken place. Saying things like, “there must have been some signs of depression,” only compounds the suicide survivor’s guilt.

自殺の兆候があったかどうかを、調べようとするな。自殺はもうすでに起こってしまった事柄である。「うつの兆候があったに違いない。」などという言葉は、自殺した人間と親しい人間に罪の意識を植え付けるだけである。

 

 

–これは、本当にもう。生きている彼に最後に会ったのが私であり、普段から一番密に接していたのが私であるから当然ではあるが、「なぜ、自殺したのか?」、「一体何があったのか?」ということを周りから聞かれ、そのせいで深い罪悪感を私は抱いた。周り全員から責められているように感じた。死ぬべきは私の方だと言われているように感じた。

 

 

 

親しい人間を亡くすという経験は、ある程度の年齢に達せれば、ほとんどの人間が経験することであろう。

しかし、自殺で親しい人間を亡くすという経験は、稀なものである。

自分が経験したことのない苦しみを理解するのは難しいものであろう。であるから、多くの人間が、悪気もなく、間違った言葉がけを行ってしまうのであろう。特に、2の自殺以外の死と比べられることは多くの人が行ってしまうことであるようだ。

多くの人に理解されない苦しみという事実自体がまた苦しみの一つにもなる。